インドネシアと日本
の深い繋がり
左の写真をご覧下さい。
二人の方に関してはご存知ですか?
左側の写真に写っている日本の女性に関してはきっとご存知 でしょう。そうです! デヴィ・夫人です。
彼女は日本のテレビ番組によく出ている有名な人です。それでは、右側の写真に写っている男性はどなたでしょうか。彼はインドネシアの初代大統領であり、スカルノ大統領です。いまなお国民には「ブン・カルノ」と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続けております。
お二人の関係は?
デヴィ・夫人はインドネシアに渡って数年はスカルノ大統領の愛人の1人でしたが、1962年(昭和37年)にスカルノ大統領と正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人です。1967年(昭和 42年)3月11日、都内病院にて娘のカリナを出産しました。正式名は「カルティカ・サリ・デヴィ・スカルノ」と言います。 彼女はスカルノ大統領の8番目の子供です。
日本占領時期
のインドネシア
インドネシアでの日本の占領期間は1942年に始まり、スカルノとハッタによるインドネシア独立宣言を通じて1945年8月17日に終了しました。この時期はインドネシア史における最も重要な時代のひとつです。1819年以来、オランダ領東インド(インドネシアを含む)はオラン ダの植民地でした。しかし、ドイツによってオランダ自体が1940年に占領されてしまったため、大日本帝国軍に対抗して同植民地を守る能力がほとんどなく、ボルネオへの最初の攻撃から3か月も経たずに日本の陸海軍がオランダ軍および連合軍を圧倒しました。
大部分のインドネシア人が喜んでオランダの植民支配からの解放者として日本側を歓迎していました。オランダ人と違って、日本人はインドネシア人の政治との関わり、若いインドネシア人に教育を施し、訓練させて武装させました。しかし、最後にインドネシア人は日本とアメリカとその同盟国間の戦争によって引き起こされた痛みと艱難辛苦を感じました。アメリカとその同盟国との戦争での日本の敗北の影響により、インドネシアに政府の空白があり、それがインドネシアに独立を宣言する機会を提供しました。
今日のインドネシアと日本の繋がり
歴史はインドネシアにおける日本の占領の悲観的な物語を記録していますが、現在、両国は政治、経済、文化などの様々な分野での協力関係と交流に基づいて60年以上にわたって非常に緊密な友好関係を育んでいます。このような友好関係は、たった1日で構築できるものではありません。インドネシアには約11,000人の日本人がいますが、日本には24,000人以上のインドネシア人がいます。インドネシアには85,000人以上の日本語学習者がおり、この数は東南アジアで最大であり、世界で6番目の位置を占めています。
現在、日本はインドネシアの若者に賞賛されている国です。インドネシアでは、日本の文化、技術、製品が非常に人気があります。技術の進 歩と優れた社会文化により、日本を複製、研究できるモデルにし、将来インドネシアをより良くすることができるようにします。
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